2019年3月21日。
世間の人々にとってこの日はどんな日だったのか。
こんなことをよく考える。
春分の日で休みだったと言う人もいれば、イチロー選手が引退した日と言う人もいるだろう。
それか何も覚えていないとか。
これが一番多いかもね。
自分にとっては、15年一緒にいた愛犬が死んだ日。
目の前で死んだ。
そして2019年4月30日、遺骨を埋葬して本当の意味で愛犬の最期となった。
久しぶりの投稿で内容が内容だけに書くかどうか迷った。
でもこのブログは自分のメディアだし、いつまでも引きずったままにしないで気持ちを整理する意味で書くことにした。
別にポエムっぽく書くつもりもなし、感動のストーリーにするつもりもない。
普段書いている記事のように見出しを付けたりもしない。
ただ愛犬との思い出に浸るために出会いから最期までをひたすら書くだけ。
この記事をタイピングしながら目に涙が浮かんでくる。
1か月以上経った今でもそんな状況。
これでも気持ちの準備はしていたつもりだった。
2017年の年末あたりから見ていて年取ったなと思う行動が増えた。
散歩中にもバテてしまうことも増えたし、少し動くだけでよく寝るようになった。
そういう経緯もあり2018年は年が明けてからは、今年いっぱいかなという悲壮感とその時を迎えたときに耐えられるだけの覚悟をしたつもりだった。
そんなモヤっとした不安を抱えたまま始まった2018年だったが、体調を崩すこともなく夏も冬も例年通り元気に過ごしてくれた。
特に夏は毎年暑さに苦しんでいたので、今年は超えられるだろうかというのが一番の懸念事項だったが、例年より暑さ対策に力を入れたこともあり快適そうだった。
夏の時期は夕方から夜にかけて庭に放してあげると、しっぽを振りながら嬉しそうに散策していた。
その姿を見て初めて家にやってきたときのことを思い出した。
黒いラブラドールがうちに来るかもしれない。
そう言われたのは君がやってくる1か月前。
実は君が来る前の小学生~高校生の頃にも2匹の犬を飼っていた。
同じように家族みんなで大切に育てていたし、その子たちも家族に馴染んでくれていたと思う。
ただどちらも残念なことにガンになってしまい6年で息を引き取った。
この時も最期を看取ったのは自分だった。
大泣きしたしなかなか立ち直れなかった。
いわゆるペットロス。
2匹目の犬が死んだ時は、家族でもうあんな悲しい思いはしたくないから最後のペットになるだろうねなんて話していたのを覚えている。
それから3年。
縁あって君がうちにくることになった。
それまでの2匹は雑種で顔で言えば柴犬っぽい子たちで、うちにきた時には成犬だった。
一方で君は血統書付きで体はでかいがまだまだ子供だった。
ラブラドールといえば薄い金色というイメージだったので、黒いラブラドールと言われてもイメージがつかず、どんな感じなんだろうって思って待っていた。
君がうちにくると言われた日はあいにくバイトだったので、うちに来た瞬間はお出迎えできず。
原付バイクを駐車場に止めて、自宅の庭に入ったときに君はいた。
庭を散策していたけど、帰ってきた自分の姿を見ると千切れるんじゃないかと思うくらいの勢いで尻尾をふって出迎えてくれた。
事前に人が大好きでやんちゃな子だと聞いていたが、自分の前でお座りをしてくれたのを覚えている。
尻尾は相変わらず振りまくっていたけど。
お座りの姿勢から見上げる君と目が合ったときに衝撃を受けた。
これは決して大袈裟な表現ではない。
ものすごくかわいい。
金色のラブラドールは見た事があったけど黒いラブラドールがこんなにかわいいとは。。。
耳は垂れていて目が大きくてくりくりしている。
顔は童顔だけど整っていて体は黒光りする毛はとても綺麗だった。
心奪われるというとは、この出会いのことだろう。
この出会った日からもう溺愛。
自分に子供ができたらこんな感じだろうかって思うくらい愛情を注いだ。
寝ても覚めても一緒にいたし、バイト代でおやつやおもちゃを買って遊んでいた。
大学生なのに、初めてペットを飼う子供みたいな入れ込みよう。
君も遊ぶのが大好きだった。
お互いに思いっきり遊んでご飯食べたら電池切れたように寝るという生活をしていた。
みんなから愛されていたし家族の中心は常に君だった。
当初ちゃんとしつけをしないと…と言っていた両親も、結局とてもかわいがっていた。
君がうちにきてから3年目の年に大病を患う。
いつものように散歩に連れて行ったら何か様子がおかしい。
ふらついている。
真っすぐ歩けないし、座り込んでしまう。
なんとか立ったと思ったら、見た事のない色をしたおしっこをした。
ふらついたまま君は自分で家に引き返してぐったりしていた。
大慌てで母親が動物病院に連れて行った。
その日は採血検査と点滴をしてもらい帰宅。
病院でお医者さんから言われた。
「検査結果が出るまで確定的なことは言えないが、おそらく感染症だろう」
薬もたくさん出された。
薬以前に普段食べているドッグフードが食べれない。
缶詰の柔らかいタイプのドッグフードなら何とか食べてくれた。
でも薬を避けてしまうので、ドッグフードに隠して食べさせるのには苦労した。
薬の効果もあってか、それから3日は症状は落ち着いていた。
そして4日目の朝に急変した。
この日はちょうど検査結果がでる日だったので、電話をしてそのまま病院へ。
お医者さんの予想通りレプトスピラという感染症だった。
詳しいことはわからないが、治すには投薬治療をしないといけないと聞かされた。
それをやっても治る確率は低いし、今回治ったとしても別の症状で苦しむケースが多い。
そして投薬すると体に大きく負担がかかってしばらくは日常生活は送れない。
これを言われて悩んだ。
正直、この時はもう死んでしまうんじゃないかと思っていたから。
治療せずに逝かせてあげるべきか、助からないかもしれないけれど治療すべきか。
でも目の前で吐きながら苦しんでいる君を見て、このままに逝かせてあげてほしいとは言えなかった。
飼い主として生きてほしいというエゴもあった。
そしてお医者さんには治療をお願いした。
夕方から投薬が始まった。
あとから聞いた話だけど夜中もつきっきりで見ていてくれたらしい。
翌朝連絡が入り、異常値を出していた血液が正常の値に戻ってきているとのこと。
明日も数値が戻ってこれば、治る見込みはあると言われた。
そしてさらに翌日連絡があった。
ぐったりはしているものの、病院に担ぎ込まれたときよりは体調が良さそうで数値を見ても投薬の効果があったそうだ。
これには先生も驚いていた。
説明時に言われた通り、今回のように重い病状だと発症した時点で投薬しても回復しないことが多いそうだ。
だからお医者さんとしては飼い主へは残念な連絡をすることになり、それが辛い役目だと言っていた。
でも今回は効果があったと。
残念な連絡をしなくてほんとによかったと言ってくれた。
その後は経過観察も必要とのことで3週間ほど入院。
病院の営業時間内であれば会うことはできるとのことで、家族の誰かは毎日会いに行っていた。
この時期は自分の就活の期間と被っていて、行けない日もあったが行ける日は短い時間でも会いに行った。
君と同じように入院しているペットは他にもいて、その子たちと家族と会う部屋があった。
10畳分くらいだろうか。
そこそこ広くて柔らかいマットを引いてある部屋だった。
会いに行くと奥の部屋から君がこっちにやってくる。
家族を見ると、思いっきり尻尾を振ってこっちに走ってこようとした。
でも貧血状態なので少し歩くとふらついてしまう。
それでもこっちに歩いてこようとする君を見て、泣いたのを覚えている。
動くこと自体もしんどそうだったので、いつもお見舞いにいったら隣に座ってなでるだけ。
そのスペースには他のペットとそのご家族の方もいたので、自分だけが居座るわけにもいかず30分で退散。
たぶんこの30分も他のご家族のことを考えると長居してしまったと思うが、病院の方々の配慮もあって時間気にせず居ていいよと言ってもらえた。
時間がきたら帰る。
この時が辛かった。
君は毎回とても悲しそうな顔をする。
今日も行ってしまう。そんな気持ちだろうか。
あの時は鳴きたかったんだと思う。
でも貧血状態で鳴くこともできず、ただ後ろをついてきた。
そしてドアから出ていく自分を見つめる。
人に置いてかれるって辛いよな。
何もしてあげれなくて悲しかったよ。
そんな入院生活もついに終わりを迎える。
お医者さんから帰宅OKの連絡があった。
経過観察の期間も数値は安定していて、貧血の症状も改善してきたそうだ。
投薬も一旦ストップできるくらい回復しているといってもらえて安心した。
これから2か月間は毎週通院してくれればいいよとのことだった。
通院といっても診察だけで負担がかかる治療をするわけじゃないから安心してと言われた。
あの時に治療する選択をしてくれてよかったと言われた。
自分も良かったと思った。
荷物を受け取り、お世話になったスタッフの方にもお礼を言って回った。
この時の君はあばらが浮くまで痩せてしまっていた。
でも良いんだ。
これからは通常通りご飯も食べられるし、もう少ししたら散歩にも行ける。
何よりずっと一緒に居れることが嬉しかった。
そして病院をでる前に帰宅後の注意事項の説明を受けた。
その際に言われたことをはっきりと覚えている。
「
大病を患うと一気に寿命が縮んでしまう子が多いです。
今回のような重い病気だと再発しなくても長生きはできない可能性が高いです。
だから一緒に過ごせる日々を大切にしてください。
」
このお医者さんは誠意がある方だったと思う。
見た目がチャラい大学生だった自分を一人の飼い主として見てくれてちゃんと説明してくれた。
余命宣告とも取れる説明を受けたわけだが、君は順調に回復した。
そしてありがたいことにお医者さんのこの余命宣告は外れることになる。
大病を患ってからその後なんと9年以上生きた。
後遺症で他の病気の発症を心配されていたけど、それもなし。
あとにも先にもここまで体調を崩したのはこの時だけ。
こういう背景を考えるとほんと長生きしたよね。
君が回復してから1年後、自分は就職で東京にいくことになった。
最終面接の時は名古屋で働きたいと伝え、担当者からは希望を尊重できるように検討すると言われた。
しかし、正式に内定がでたときに名古屋配属のメンバーの中に自分の名前はなかった。
この決定は君と離れて暮らすことの決定と同じ。
これが嫌で嫌で仕方なかった。
内定辞退も含めて考えていたが当時はリーマンショックの影響で就職氷河期。
ここで内定を辞退して就職活動しても来年就職できるかはわからない。
そんなときに担当者から新人研修を受けて、そこで配属地が変わる新人もいると言われた。
世間知らずだった自分はこの言葉から名古屋で働ける可能性を信じて就職した。
結果、名古屋にはいけず東京のまま。
入社した頃は、どの会社も働き方改革?何それ?みたいな時代だったので自分が入った会社も同じく残業ラッシュ。
IT系の代名詞ともいえる過剰な残業もあったが、幸い残業代が全部出たので新人でも手取りが20万後半。
金曜日に夜遅くまで働いてそのまま寝ずに土曜日の始発の新幹線で名古屋に帰って君に会うという生活をしていたのを覚えている。
当時は周りから犬と会うためにそんなよく帰るな~と言われたが、今思い出してもほんとによく帰っていたと思う。
しかしそんな生活もだんだんとできなくなる。
年次が上がるに連れて残業時間と土日の出勤が増えていった。
この時期はほんとに仕事!仕事!仕事!という生活で実家に帰る帰らない以前に平日が常に終電で土日は出勤か睡眠という生活だった。
そしてゴールデンウイーク・お盆・年末年始といった帰省シーズンくらいしか帰らなくなり、君に会う機会がどんどん減っていった。
それでも帰る度に君は出会った頃と変わらない尻尾の振り具合で出迎えてくれた。
そんな純粋な君を見て、自分は東京で何をやってるんだろうと何度も考えた。
君に会うためにお金を稼いでるのに、仕事のせいで君に会えないってこの仕事を続ける意味あるのか。
言い表しがたい罪悪感があったので、帰る時はせめて喜んでくれるものだけでもと思って高いおやつを持って行ったのを覚えている。
この生活が続いて3年ほど経って、君にも変化が見られた。
真っ黒だった毛が口の周りだけ白くなってきたのだ。
じいさんになってきたな~といいつつも、それは見た目だけの話で今まで以上に元気だった。
この頃はいつ帰っても元気な君を見れることがとても嬉しかったし、仕事で嫌な事があっても自分も元気に頑張ろうと思えた。
それから更に1年くらいしたある日。
仕事をしていると親から連絡が来る。
どうやら君の眼が少し濁っているとのことだ。
嫌な予感がしたが、予想はついていた。
おそらく白内障だろう。
人間と同じように犬も白内障になる。
通院の結果、まだ初期症状なので目薬でケアしていくことになった。
先生からは何も言われなかったが、自分の中で確信していることがあった。
これは老化の初期症状だ。
あーついに来たなという感じではあったが、このときうちにきて8年が経過していたから年齢を考えると仕方ないという気持ちもあった。
この時は目薬が効いたらしく目の濁りの進行は収まっていたが、その後4年をかけて進行していくことになる。
白内障は距離感がつかめなくなるなど日常生活に大きな影響を与えるらしいが、君に限ってはそうは思えなかった。
君が死ぬ1年前の2018年には目が全体的に白くなっていたが、距離感が合わず何かにぶつかったりすることもなく普通に過ごしていた。
ここまで8年目で口の周りの毛色が白く成ったり、白内障の症状が始まったりと老化を感じさせる出来事があったが、本格的に老化の進行を感じたのはうちにきて10年目のことだ。
朝、君が階段の下で階段に背を向けて寝ている。
普段は家族が起きてきたら、君は2階でドアが開く音や階段から降りる音で体を起こしてくるのだが、その日は起きてこない。
寝てるのか無視してるのかなと思っていたので、撫でようと思って階段を下りた瞬間に、君が驚いて体を起こす。
なんでそんなに驚いているのかわからない。
普段爆睡してても音は聞こえていて、人が近づいてくるとめんどくさそうに顔を向けてくるのに。
この日はほんとに驚いていた。
え?後ろいたの!?いつ?
その表情はそう言っているようだった。
どんだけ油断して寝てるんだよと思った。
でも違ったんだよね。聴力が落ちていた。
特に顕著だったのは今まで怖がっていた雷の音を全く怖がらなくなっていたこと。
これまでは雷の音を聞くと、ぶるぶる震えながら家族にすり寄ってきたのに全く動じなくなった。
それどころか寝ている。
君はほんとに幸せそうに寝ていたけど、それを見たとき悲しくなったよ。
あ~ついに耳まできたか。近いうち歩くのすら困難な時期がくるんだろうなと思った。
目と違って聴力はどの程度まで落ちていたかはわからなかった。
いままで反応していた大きな音には反応しなくなったが、名前を呼ぶと反応する。
名前に反応しているように思えたのは、君が家族の表情をみて呼ばれていると感じて寄ってきたから。
だから結局どこまで聞こえていたのかはわからない。
先のことを考えて少し暗い気分になっていたが、11年目は意外にも大きな変化は見られなかった。
冒頭にも書いた通り、バテやすくなったものの全然動けないというわけでもないし、寝る時間は伸びたがご飯も食べれるし散歩も行ける。歩行も問題なし。
この頃には口の周りだけではなくてお腹周りの毛にも白い毛が混じるようになっていた。
目の濁りはうっすらと全体に広がった感じ。
耳は相変わらずだけど生活に支障がでているようにも見えない。
年末頃からはそれまで以上にバテやすくなり、睡眠時間もだいぶ増えたように思う。
2018年も同じ。何もなかった。
2017年と同じ日常だった。
よく寝るなということはあっても、体調が悪いとかそういう風には見えなかった。
ただもうこの頃には完全に老犬って感じ。
バテやすさを見てもう今年いっぱいかなと思っていたから、一緒に年を越せたことはすごくうれしかった。
そして2019年。
年が明けても普段通りだった。
ご飯を食べる。散歩に行く。家に帰ってきたら家族と遊ぶ。そして寝る。
相変わらずバテやすかったけど、死ぬ3か月前とは思えないくらい今まで通りだった。
君と最後に過ごすことになる正月休みも終わりに近づき、東京に戻らないといけない日が来た。
わざわざ玄関まで来て自分を見送ってくれる君を見て
「
今年の年末までは厳しいかもしれないけど、夏くらいまでは生きてくれるかな。
ただ夏は暑さ対策してても今の君には辛いだろうから、もし逝くなら暑くなってしんどくなる前に最期を迎えてほしいな。
あーでもやっぱり君が死ぬって嫌だな。まだまだ長生きしてほしい。
」
なるべく苦しい思いをさせたくない気持ちと自分自身のエゴが入り混じった気持ちになった。
相変わらず尻尾をぶんぶんと振ってくれる君に対して、近いうちにこの子は死ぬだろうという思いを持ちながら撫でる自分。
そんな自分が嫌になった。
自分の嫌な気持ちを振り払うために、君に抱き着いてから車に乗った。
車が玄関前から進み始めても相変わらず尻尾を振ったまま見送ってくれる君。
生きてほしい。ただ生きてほしい。まだ一緒にいたい。
そんな思いを抱えて東京に戻った。
東京に戻ってからも様子を聞いていたが、1月はいつも通り元気に過ごしていたようだ。
家族が家にいるときはストーブの前を陣取って寝ていたと聞いた。
寒さのせいか寝ている時間が伸びたそうだが、それでも散歩も行くしご飯も食べる。
そしてストーブの前で寝る。
そんな日常が続いて1月は過ぎていった。
2月の月初に帰ったときも同じく元気だった。
相変わらずよく寝ていたが、自分が帰ってきたときは出迎えてくれたし東京に戻る日はいつも通り見送ってくれた。
大好きなさつまいものおやつもよく食べた。
お昼の暖かい時間帯に庭に放してあげると、自分のエリアをパトロールして満足げに帰ってきた。
鼻が泥だらけになっていたので、庭のどこかに穴を掘って遊んでいたんだと思う。
ここ2年で随分おじいちゃんになったと思っていたが、その無邪気な姿を見てゴールデンウィークは一緒に過ごせると思って東京に戻った。
東京に戻る新幹線の中で久しぶりに明るい気持ちだった。
次帰ってくるときは何を買ってあげよう。
寒そうだし新しいクッションを買ってあげようか、それとも高いおやつにしようかな。
この2月も1月と同じく何もなく過ぎていった。
いま思えば何もないこの1,2月というのはとても幸せだったと思う。
ストーブの前で寝ている君と少し離れたソファーに座る自分。
何をするでもなく、寝ている君を見てほんとにかわいいな思いながら過ごす休日。
こうやって文章にすると自分は愚かだったと思う。
大学生のときは当たり前だった時間を今ありがたがっている。
仕事なんて気にしないでもっと帰ってこればよかった。
君が最期を迎えてから1か月経ってもそう思っている。
後悔先に立たずとはこのことだろう。
さて、ついに君の最期となる3月を迎えることになる。
2月が元気だったこともあり3月は中旬に帰るつもりだった。
帰ろうと思っていた週の月曜日に連絡がきた。
散歩中に動けなくなったから車で迎えにいったという内容だった。
スマホの画面を見たときに表示されている文章を見て固まった。
2月は元気に散歩いっていたのに何が起きた?
急いで連絡したが、すでに家に帰ってきており休ませているとのことだった。
その後夜になって何回も吐いていると連絡があった。
翌日は体調が悪そうだが吐いたりはしていなくて、昨日のこともあるので散歩には行っていないとのことだった。
この日は庭で用を足して、そのまま寝ていたそうだ。
水曜日になり散歩に行きたがるので連れて行ったらまた動けなくなったそうだ。
そしてまた何回も吐いていると連絡があった。
月曜日からの展開に頭がついていけず、木・金曜日は会社を休んで実家に帰ろうとした。
そのことを親に伝えると、家で家族が観ているから大丈夫と言われた。
そして、弱ってはいるものの、まだ最期を迎えるような状態ではないから、この状態で会社休んでしまうといつまで休めばいいかわからんよって言われた。
結局、自分が翌週の仕事を休んでも影響が出ないようにするために木・金曜日は出社した。
ここで迷わず帰るという選択をできなかった自分が情けなくて、いま書いていても涙が出てくる。
ほんとにごめんな。
金曜日も終了時間ぎりぎりまで仕事をして、土曜日の朝一の新幹線で帰った。
幸いにも木・金曜日の体調は安定していて散歩には行けないものの、流動食を食べても吐かなかったそうだ。
最寄駅から実家に向かう車の中で、
月曜日から食べても吐いての繰り返しでほぼ水も飲まずに流動食を少し食べた程度だったからとても痩せた。たぶん見たらびっくりすると思う。
と聞かされていた。
聞き流したわけではなかったが、帰ったら会えるという気持ちが強かったので、この話はあまり気にしていないかった。
そして実家についてリビングのドアをあけたときに、「とても痩せた」の意味を知ることになった。
そこには、あばら骨と背骨がはっきり浮いてみえるまでガリガリに痩せた君がいた。
あばらより後ろはただ骨がついているだけ。
全ての筋肉がやせ細り骨の上に毛皮をかぶせたような後ろ脚。
感染症を患ったときでもあばら骨が浮いているところまでしか痩せなかったのに。
一目見て泣いてしまった。
「いつも通り」自分を出迎えようと立ち上がろうとする君。
でも立てない。
頭をあげていることも辛そうにしている。
ずっと伏せていてリビングの中で君だけが何倍も重力を受けているようだった。
ずっと泣いたまま動けないでいる自分。
心配になったのか、力を振り絞って立ち上がってすり寄ってきてくれた。
その姿に更に涙が止まらなくなった。
自分が泣いていると、君が休めない。
ソファに座ると手をなめてくれて、ストーブ前のクッションに戻っていった。
クッションに戻る際も崩れ落ちるように伏せた君を見て、無理してくれたことがよく伝わった。
土曜日はずっと家にいて君を見ていた。
一緒に寝ようかと思ったけど、人が近くにいると寝付けないようでやめておいた。
日曜日になり、朝起きたら君は昨日より元気そうに見えた。
土曜日は何も食べれなかったが、日曜日は流動食も食べれた。
この日も自分はずっとソファーで、君はストーブ前のクッション。
東京に戻る時間が来るまでずっとこのままいた。
この日は東京に戻るか、このまま一緒にいるか迷った。
でも少し元気を取り戻した君をみて、まだ来週末まではもちそうだと思った。
土曜日にみたときから、それくらい回復したように見えた。
家族全員が揃った場にいれて嬉しかったんじゃないか。そう思った。
来週の木曜日は3月21日で春分の日。
金曜日に有休をとれば木曜日から4日間一緒にいれる。
水曜日までに死なないことを祈って東京を後にした。
翌日の月曜日、今日は元気そうだ。きっとあんたが来て嬉しかったんだろうと連絡がきた。
そのまま月曜日は過ぎていった。
火曜日になり連絡が来る。
この頃になると、親から来る連絡が怖くて仕方がない。
いつ「死んだ」という文字を目にすることになるのか。
毎回ラインのアプリを開く時は、目をつぶっていた。
親以外の人からの連絡だと安堵した。
そして親からの連絡が来たときは毎回トイレに行ってから開いていた。
訃報だったらその場で泣き崩れると思ったからだ。
火曜日も乗り切ってくれた。
体調が悪そうだが、先週よりは良さそうだと言っていた。
あんたに会えたことが相当嬉しかったんだろうねと言われた。
自分は君じゃないし、実際のところはわからないがそうであったら嬉しい。
水曜日。ここを乗り切ってくれたら君に会える。
朝起きて頑張ってくれと願っていた。
午前・午後とそれぞれ親からのラインが入る。
ずっと寝ていて様子は変わりないと。
それを見て安心して仕事をしていた。
でも夜に君の様子が変わる。
深夜に咳こんでいたらしい。
その咳自体はすぐに収まったらしいが、それ以降呼吸がはやくなってきたそうだ。
そして君の最期の日である木曜日。
起きたら咳の話についてラインが来ていた。
このラインを見て、今日だなと覚悟をした。
なぜなら過去の2頭も最期のときを迎える直前に咳きこんでいたからだ。
経験があるというのは役に立つ側面もあるが、こういう時は嫌なものだ。
最愛の君の最期を考える自分がいる。
自分が家に着くまで、なんとか生きていてくれ。
新幹線に乗っている間はずっとそれだけ。
自然と涙が出てくる。まだ死んでないのに。
実家に着くと君は生きていた。
もう「いつも通り」出迎えようとはしてくれない。
意識ははっきりしているが、ほぼ動けない。
呼吸するたびにゴロゴロと濁った音がしている。
でも必死に顔をあげてくれた。
それだけで帰ってきた意味があった。
自分が新幹線に乗っている間、珍しく庭に出たがったそうだ。
家では漏らさない子だったので、最後の最後まで家で漏らすのは嫌だったのだろう。
手を借りて玄関まで出たところで、君は倒れたそうだ。
咳がとまらず呼吸できていないようだったと聞いた。
このときばかりは家族全員がついに最期の瞬間が来たと覚悟したそうだ。
でも君はなんとかリビングまで戻ってきた。
そして自分が帰ってくるまで生きていてくれた。
冒頭に感動のストーリーにするつもりはないといったが、これは待ってくれていたとしか思えない。
お互いにいつも場所で過ごす最後の一日。
流石にこの日の君は辛そうだった。
辛そうだったけど残りの時間を必死に生きているのが伝わってきた。
この言葉が正しいかはわかないけど、その必死に生きる姿に感動してしまった。
そして14時が過ぎたあたり濁った音が混じる呼吸がだんだん深いものになっていく。
これはもう死ぬ直前に起きる症状だ。
自分はそれを知っていた。
顔の向きを変えて力ない目でこちらを見てくる君。
もう最期だと思った。
泣きながら全身を撫でた。
全身を撫で終わってソファーに戻ろうとしたときにそれは来た。
表現できないくぐもった音ととも君が口から泡を吹いた。
白目をむいて、体がぴーんと伸びた。
そして痙攣が始まり目の光がなくなった。
よく頑張った。ここまでほんとによく頑張った。
辛い中で自分の帰りを待っていてくれてありがとう。
君は見られるのが嫌だったかもしれないけど、最期の瞬間を看取ることが出来て幸せだった。
そして翌日、君は火葬されて遺骨としてうちに帰ってきた。
君が死んだあと、ずっと泣いていた。
泣いても泣いても涙が止まらない。
帰りの新幹線もずっと泣いていた。
東京について山手線に乗っている間もずっと泣いていた。
会社でも泣きそうになったというか目を真っ赤にしていたが、花粉症ということにしてごまかした。
今年は花粉症対策グッズのおかげでほぼ花粉の症状は出てなかったから周りは驚いていたけど。
もしかしたらバレてたかもね。
涙のスイッチは色んなところにあった。
でかけた先で米津玄師のLemonが流れていたり、近所で散歩している犬を見たり。
何か君を思い出すきっかけになるものがあると自然と涙がでてくる。
この記事を書いているときもそうだけど、君の写真や動画をみるとやっぱり泣いてしまう。
1か月以上経っても未だに思い出して泣く。
12年だ。
3歳の時にうちにきてから君と一緒にいた時間。
君は15歳と10か月生きた。
平均寿命が12~13歳と言われている中で大病も患ったのに君は15年も生きたわけだ。
すごいよね。
思い返してみると、君の最期は色々と記念になる日にまつわる日だったと思う。
例えば最期の日はイチロー選手が引退した日だった。
この日はずっと泣いていたんだけど、見る気もないが物寂しい感じが嫌でテレビをつけていた。
そしたらイチロー選手が引退会見で質疑応答していた。
これがまた運命というか君の引きの強さを感じる出来事だったんだけど、イチロー選手が引退会見の中で愛犬の話をしていた。
その愛犬は長生きしていて、18歳でおじいちゃんだそうだ。
その愛犬の懸命に生きている姿を見て自分も頑張らないとという気持ちになるという話をしていた。
別にイチロー選手にあやかるつもりはないが、自分が君を見て感じたことを君が死んだ日にイチロー選手が引退会見で話している。
とても不思議な感覚になった。
そして埋葬の日。
最初は4月29日を予定していたが、家族の予定が合わず4月30日になった。
平成最後の日に君の遺骨を埋葬した。
自分のなかでは平成の終わった日はほんとの意味で君の最期の日だった。
毎年ゴールデンウィークって楽しみなんだけど、今年は嫌だったよ。
ゴールデンウィークが来たら君の遺骨を埋葬しないといけない。
そしたらほんとにお別れ。
ただただ寂しい。
遺骨は庭の中で君が好きだった場所に埋めた。
そのとき泣かないようにと思ってたけど結局泣いてしまった。
なんかね、自分が思っていた以上に君は自分の心の深いところにいた。
君と一緒にいた12年を振り返ってみても君以上に愛情を注いだ存在はいなかった。
自分の親友であり、子供であり、兄弟であるそんな存在なんだろう。
これからまだ自分は生きていくわけだけど、君以上に愛せる存在に出会えるのだろうか。
誰かと結婚するにしても、君を超えるか同じくらい愛情を注げると思う人じゃないとできないから、そんな人に出会えるのかは疑問。
家族みんなも遺骨を埋葬したあとに君がいなくなった部屋を見て、いつもいた君がいなくて寂しいと言っていた。
いなくなってからもう1か月経っているわけだけど、自分以外の家族にとっても君が深いところにいたのだろう。
このゴールデンウィークは君がいない部屋でこれから自分はどうやって生きていこうか考えた。
考えた結果、楽しいことをたくさん経験して必死に生きるという結論になったよ。
いずれ自分が死んで君に会ったときに、どんなところに行ったかとかこういう美味しいもの食べたよとかそんな楽しい話をしたい。
君が死んでから遺骨を埋葬をするまでの約1か月、ずっと暗い気持ちだった。
今でもまだ暗い気持ちはあるけど、そのままだと君の死で自分がダメになったってことになるのでそれは嫌だな。
君が死ぬ直前でも必死に生きていたように自分も必死に生きていきたい。
そして君との12年間は人生の中で最高の時間だったといえるようになりたい。
最後になるが、この記事の公開日は君の16歳の誕生日だ。
おめでとう。うちにきてくれて本当にありがとう。
実家に帰ったら大好きだったおやつを供えるよ。
今でも大好きだぞー!!!
また会う日がきたら、その時はおすわりしながら尻尾をぶんぶん振ってる姿で出迎えてね。
ありがとう。